神戸市文書館
神戸市文書館を会派の人見議員、人見議員のインターン生と一緒に見学してきました。実は神戸文学館に続く第2弾の見学会でしたが、今回は事前にお願いしていましたので、館長から、展示していた企画展のご紹介や館内のご案内もしていただき、神戸市にとって、大変、意義深い施設であることを再認識いたしました。
神戸市文書館パンフレット表
神戸市文書館パンフレット裏
パンフレット、縮小して少しみにくいかもしれませんが、建物の由来が書かれています。元々、この建物は、昭和13年に私立池長美術館として池長孟氏によって建築されたものです。戦争を経て、昭和26年に神戸市に委譲されてから、神戸市の美術館として存続していましたが、私財をつぎ込んで蒐集されてきた池長孟氏の南蛮美術のコレクションは、昭和57年に神戸市立博物館に移されました。その後、1989年に神戸市文書館として開館しています。
神戸文書館は、存在はもちろん知っていましたが、ゆっくり見学することができておりませんでした。是非行きたいと思うことになったきっかけは、次のチラシの通り、「神戸と難民たち」という特別展示を行っていたからです。
リトアニア領事官の外交官杉原千畝(ちうね)氏がたくさんのユダヤ難民を助けたことは知られるようになってきましたが、助けられたユダヤの人々が、その後、神戸に滞在したことは、あまり知られておりません。この史実について調査をしてわかったこと、また、映画「海難1890」でも描かれた和歌山沖でのトルコの戦艦エルトゥールル号の遭難事件の際、神戸に来て養生してから帰国したこと、大正時代、ロシア革命から子どもたちを救った「陽明丸」と勝田銀次郎(後に神戸市長)の3つのストーリーについての資料が展示されていました。
特別展示の期間は2週間であったため、時間が合わずに残念ながら見学することができませんでしたが、ずっと、文書館に行きたいと思っておりました。今回、念願かなって、館内の説明も受け、3つの物語に改めて興味を持つと共に、建築家、小川安一郎氏により設計され、昭和13年に完成の池長美術館の、建物としてのデザインに心を惹かれました。
神戸には、まだまだ物語が眠っていることを実感して文書館を後にしました。
神戸と難民たちチラシ
文書館の正面その1。三宮から2系統のバスに乗って、熊内5丁目で降りると目の前です。
文書館の正面その2。
アールデコの様式の鹿の装飾。