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委員会視察#1(仙台空港)

今週は、都市防災委員会の視察で月火水と仙台、一旦神戸に帰って、次の木金は、政令市の民主党市会議員の総会で、またまた仙台と、1週間を仙台で過ごすことになりました。
空港から仙台市までは、空港アクセス線に乗車して移動しますから、1日1回は、この電車に乗りました。空港から仙台駅まで快速で17分。普通で25,6分かな。愛着が出てきたので、最後に記念写真を撮りました。(笑)
1日目は、仙台空港で、震災時の避難状況や、復興の現状について、空港会社の大平(おおだいら)専務から説明を伺いました。
大震災が発生し、ビル自体は大丈夫だったので、地震の避難をしようとした矢先、大津波警報が発令、ビルの外に逃げていた人も立ち戻り、空港内は、観光客などの利用客702人、空港関係の従業員395人、さらに、ビルに避難してきた周辺住民や事業所の人598人、合計1695人が孤立した空港ビルで救助を待つことになりました。
〇防災の拠点には指定されていなかったため備蓄がなく、毛布は200枚だけ。食糧は、仙台のおみやげの「萩の月」を1個とペットボトル1本を配給する形でしのいだ。
〇居合わせた人の中でグループごとに代表を決めて進められた。
〇2日目の朝、富山県のレスキュー隊が到着。
〇岩沼市長がその後14時に食料を持って到着。
〇米軍の「トモダチ作戦」が始まって、空港の外にあるがれきが、みるみる片付いていった。
〇12日夕方から避難者が歩いて帰宅しはじめ、14日には100名を切ることに。
〇食糧は、おみやげなどがあったが、電源がないため、トイレが流せないことが困った。
〇客室乗務員から新聞紙でくるむ方法を教えられ、みんなで従った。
〇震災前は、優良会社で、10億円くらいの利益剰余が出ていたが、復興に65億かかることに。
〇国・県から無利子融資を受け、(39.2億円)20年で返す予定。
〇今後、津波が来ても、電気室だけは浸水しないように潜水艦構造に改良した。

空港は、すっかり復旧していました。便数も、国際線が17便と、震災前の20便には到達していないものの、国内線は44便と、震災前の40便より増便となっています。
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資料1

資料2

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